
歌手河南席(63)は 28日午後ソウル成均館大前ミュージッククラブ '上(We)'から開かれた '朴聖書のトークコンサート-夢見るミュージシャン河南席とともにその夢と向い合う'でこのような事実を確認した. 河南席はキム・チョンホ他界直後追慕曲 '様の初喪'を発表した.
キム・チョンホ追慕事業には河南席を含めて '岩島' '織女に' などの潭陽出身歌手キム・ウォンジュン, '音の間'の新性徹などが準備委員で参加している.
朴聖書さんは "潭陽はキム・チョンホの音楽的根がある所"と西便制の大きい幹と同時に創作パンソリの創始者に称えられた越北音師搏動室先生がまさに彼の母方のお父さん"と紹介した.
"越北によって彼の存在はパンソリ社でひとときつけられたが搏動室は名唱金笑戯とバックソングフィなどを育て出した人物"と "キム・チョンホのお母さんである朴スックザ女史と一緒に牙城極端を作って満洲もいたんで等地で公演を通ったりした名人だった"その知らせた.
潭陽歌辞文学官には '名唱搏動室記念碑'がある.
一方, キム・チョンホはフォークグループ '四月と五月'の 3期メンバーに活躍した. グループサウンズ 'オニオンス'の歌を作詞, 作曲するなど多方面で才能を威張った. 1973年 '名前分からない少女'路ソロデビュー, スター級に上がった. 哀切な感受性で人気を呼んだ彼は 1985年 11月29日肺結核で死亡した.
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李ゼフン(記者)
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